五臓六腑がHIP-HOP

ここはTwitter 孤独なダンスホール

散文の意思の純情な感傷

中学校の卒業式手前あたりだったか、教室でだべってたら
あんまり好きじゃない担任が言った言葉をなぜか今でも覚えている。

「なんだかんだ小中は地元が近いので、一生の付き合いになる」

らしい。

 

大学の知り合い(ないし大学からの知り合い)は今でもつるむ。
もっぱらTwitterにいる、ありがたい(ありがたいか?)ことだ。


高校の知り合いも部活仲間は年二ぐらいで会う。
Twitterにいるやつはほとんどいないけど
会えば昨日も会った感じで緩くしゃべれる、ありがたいことだ。

小中は死んだことにしておいてもらえると嬉しいです。
仲が良かった(と思っている)相手はいたが
僕は所謂いじられ陰キャの腰巾着なので
卒業と共にそのグループからはフェードアウトしていった。
家に行ったり遊んだりは昔からしてたけど
嗤われているのが本気か冗談かという不安は歳重ねるごとに増えていた。
それも、ついぞその答えを確かめる勇気は拙者にはなかった。

そんでそんな付き合いだった中学の友人の結婚報告をちょっと前に人づてに聞いた。
連絡はほぼ途絶えていたし半端な立ち位置だから呼ばないのは正解なのだけど
やっぱり自分は違う層の人間だったのではないかと時々考える。
それでも一応、祝福したい気持ちは本心ではある。

おめでとう。
ハッピバースデートゥユー。
メリークリスマス。
そして、全ての子供達に、おめでとう。
まぁそれはそれとして。(デビルマン)(デビルマンではない)

センキュー担任、フォーエバー担任。
オタクには地理的な要因よりもっと大きなファクターがありもうした。
これに限らず、あなたのその新任体育教師らしい
コテコテの体育会系理論に僕はずっと目眩がしておりもうした。

関係ないけど委員会活動中オタクがコンドーム飛ばして遊んでた時
一緒にいたってだけで弁明聞かずに説教した挙句親にチクったの一生忘れねえからな。
未だに僕はゴム風船以外の使い方を知らない、覚える機会もきっとない。
まぁそれはそれとして。(デビルマン)(デビルマンではない)

なんでこんなことをふと思ったかというと
結局、今も昔も、僕は「今」がいつまで続くのだろうかと考えてしまうわけで。
ちくしょう直前にコンドーム説教のくだり入れるんじゃなかった。

それが楽しいか楽しくないかに関わらず
いつまでこれが続くのだろうと終わる前から考えてしまう。
だから今だとこの休職のままでいいのかって
気が狂いそうになってる、ぴっぴろぴー。

それはさておき、結婚に限らず
オタクも少しずつ環境は変わっていくんだよな。

今いるオタク達がちょっとずつ消えていって
そしたら自分には何が残っているのだろうと、時々考える。
いいから転の職の準備をしろ、或いは戻る覚悟を決めろ。
ほざくまえにまず残す努力をしろ。

いいかオタク、楽しいことをするぞ。
呪詛のように死ぬまで呟くからな。
神様は何も禁止なんかしていないんだよ。
愛してる ×3 なんだよ。
2個の心臓がくっついていくんだよ、わかるか。
わかんねえよ。


飽きました。
とりあえず社会復帰頑張ろうと思います。
おしり。